石川さゆりの若い頃を総まとめ!デビューから現在までの歩み

国民的歌手の若い頃の姿と、着物姿で歌う現在の姿、そして聴衆や日本の象徴的な風景が柔らかな色彩で描かれた抽象的なイラスト。
※本画像はイメージであり、実在の人物とは異なります

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※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。

国民的演歌歌手として、長年多くの人々を魅了し続ける石川さゆりさん。その圧倒的な歌唱力と存在感は誰もが知るところですが、石川さゆりさんの若い頃の姿やデビュー当時のエピソードについては、意外と知られていないかもしれません。

実はアイドルとしてデビューした可愛い姿や、紅白歌合戦で初めてステージに立った日のことなど、彼女の輝かしいキャリアには多くの物語があります。この記事では、石川さゆりさんの若い頃の軌跡を、現在の年齢や夢を育んだ出身地の熊本でのエピソードを交えながら詳しくご紹介します。

また、プライベートな側面にも光を当て、元マネージャーの夫との結婚生活から、大切な一人娘であり子供である佐保里さんとの深い絆についても掘り下げていきます。気になる再婚相手の有無や、2025年のミス日本グランプリに輝いた姪の石川満里奈さんの話題にも触れながら、石川さゆりという一人の女性の魅力を紐解いていきます。

目次

【デビュー当時】石川さゆりの若い頃と華々しい経歴

  • コロムビア・プリンセス!アイドル時代の可愛い姿とデビュー秘話
  • 出身地・熊本で育んだ歌手への夢
  • 現在の年齢は?プロフィールで振り返る軌跡
  • ヒットに恵まれなかった若い頃の努力と転機
  • 名曲「津軽海峡・冬景色」での大ブレイク
  • 紅白歌合戦における輝かしい功績の数々

コロムビア・プリンセス!アイドル時代の可愛い姿とデビュー秘話

石川さゆりさんは、1973年3月25日に「コロムビア・プリンセス」というキャッチフレーズと共に、アイドル歌手として華々しくデビューしました。
その可憐な姿は、今もなお多くの人々の記憶に残っています。

デビューのきっかけは、中学3年生だった1972年にさかのぼります。友人から代理を頼まれて出場したフジテレビ系の「ちびっ子歌謡大会」で、見事にチャンピオンの座を獲得しました。
この歌声が審査員の目に留まり、芸能事務所のホリプロにスカウトされることになります。

歌手デビューに先立ち、同年にはテレビドラマ「光る海」に沖雅也さんの妹役で出演し、女優としてのキャリアもスタートさせています。ちなみに「さゆり」という芸名は、このドラマのプロデューサーが「いつまでも美しく清潔であってほしい」との願いを込めて名付けたものです。

そして翌年、15歳でシングル曲「かくれんぼ」をリリースし、念願の歌手デビューを果たします。
当時は、同じ事務所に所属していた森昌子さん、山口百恵さんと共に「ホリプロ三人娘」として売り出されました。しかし、後に石川さんの代わりに桜田淳子さんが加わった「花の中三トリオ」が絶大な人気を博すと、石川さんはしばらくヒットに恵まれない時期を過ごすことになりました。その頃は、地方を巡業するなど地道な活動を続けていたといいます。

デビュー50周年を迎えた2023年には、自身のインスタグラムで当時のサイン入り写真を公開。その初々しい姿に、ギタリストの布袋寅泰さんが「可愛い!」とコメントを寄せるなど、大きな反響を呼びました。

出身地・熊本で育んだ歌手への夢

石川さゆりさんの歌手としての原点は、出身地である熊本県で過ごした幼少期の体験にあります。
1958年に熊本県飽託郡飽田村(現在の熊本市南区)で生まれた彼女の心に、歌手への強い憧れが芽生えたのは、忘れられない光景がきっかけでした。

それは、小学1年生の時に地元の水前寺体育館で見た、島倉千代子さんの歌謡ショーでした。
幕が上がり、色とりどりのライトに照らされたステージで紫色の着物をまとって歌う島倉さんの姿に、少女の心は釘付けになります。「私も、あそこに立ち、ライトを浴びて歌いたい」という強烈な夢を抱いた瞬間でした。

その夢を、家族は温かく後押しします。石川さんが小学5年生の時、お父様の仕事の都合もありましたが、娘の夢を叶えさせてあげたいという想いから、一家は横浜への転居を決断しました。

決して楽ではなかった都会での生活の中、彼女は歌手になるためのレッスンに通い始めます。レッスン費用は自分で捻出しようと、夜が明ける前から牛乳配達のアルバイトに励んだというエピソードは、彼女の強い意志と努力を物語っています。故郷・熊本で抱いた夢が、その後の厳しい道のりを支える大きな力となったのです。

現在の年齢は?プロフィールで振り返る軌跡

石川さゆりさんは、1958年1月30日生まれで、2025年には67歳を迎えます。
ここでは、彼女の基本的なプロフィールと共に、半世紀以上にわたる輝かしい軌跡を振り返ります。

名前 石川 さゆり(いしかわ さゆり)
本名 石川 絹代(いしかわ きぬよ)
生年月日 1958年1月30日
年齢 67歳(2025年時点)
出身地 熊本県熊本市南区
学歴 堀越高等学校 卒業
デビュー 1973年3月25日「かくれんぼ」
所属事務所 株式会社さゆり音楽舎
血液型 A型

15歳でアイドルとしてデビューした後、思うようにヒットが出ない時期を乗り越えるため、歌の基礎から学び直し、演歌歌手へと転向しました。その努力が実を結び、1977年の「津軽海峡・冬景色」が大ヒット。その後も「天城越え」「能登半島」「風の盆恋歌」など、数々の国民的ヒット曲を世に送り出しています。




その功績は高く評価されており、日本レコード大賞では「波止場しぐれ」と「風の盆恋歌」で最優秀歌唱賞に輝くなど、数々の栄誉ある賞を受賞。2019年には、芸術文化の分野で顕著な功績を挙げた人物に贈られる紫綬褒章を受章しています。

また、歌手活動のみならず、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では主人公・明智光秀の母である牧役を演じ、2023年にはヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』に出演するなど、女優としてもその才能を発揮し続けています。


ヒットに恵まれなかった若い頃の努力と転機

石川さゆりさんは、アイドル歌手としてデビューした後、しばらくヒットに恵まれず、苦しい時期を経験しました。
しかし、その逆境を乗り越えるための弛まぬ努力が、後の国民的歌手へと飛躍する大きな転機となります。

1973年にデビューした当時、芸能界では同じ「ホリプロ」所属の森昌子さん、山口百恵さん、そして桜田淳子さんによる「花の中三トリオ」が社会現象ともいえるほどの絶大な人気を誇っていました。
その輝きの影で、石川さんは思うように注目を集めることができず、ご本人も後に、不安や劣等感を抱いていた時期があったと語っています。

そんな中でも彼女は決して諦めませんでした。「いつかチャンスが来る、それまでに力を蓄えておこう」と心に誓い、歌手としての実力を磨くことに専念します。
そのために、浪曲で知られる二葉百合子さんに弟子入りし、歌の基礎をゼロから学び直しました。
さらに、歌に一層の深みと表現力を持たせるため、日本の伝統芸能である民謡や日本舞踊にも真摯に取り組み、技術を習得していったのです。この地道な修練の日々が、石川さゆりという歌手の揺るぎない土台を築き上げました。

名曲「津軽海峡・冬景色」での大ブレイク

石川さゆりさんの名を一躍全国に轟かせたのは、1977年にリリースされた名曲「津軽海峡・冬景色」です。
この一曲が、彼女の歌手人生における大きなブレイクスルーとなりました。

実はこの楽曲、もともとは前年の1976年に発売されたアルバム『365日恋もよう』に収録されていた一曲でした。
このアルバムは、一人の女性の1年間の恋心を1月から12月までの歌で綴るというコンセプトで制作されており、「津軽海峡・冬景色」はその締めくくりである12月の歌として誕生したのです。

アルバムの中の一曲でありながら、その完成度の高さからシングルカットされると、たちまち人々の心を捉えました。
当時19歳とは思えない、情感あふれる歌声と圧倒的な表現力は、歌番組などを通じて大きな話題となり、歴史的な大ヒットを記録します。

この大ブレイクにより、同年の「第19回日本レコード大賞」では歌唱賞を、さらに「FNS歌謡祭」ではグランプリをはじめとする数々の賞を受賞し、彼女は押しも押されもせぬトップスターの仲間入りを果たしたのです。

紅白歌合戦における輝かしい功績の数々

石川さゆりさんは、年末の風物詩である「NHK紅白歌合戦」においても、数々の輝かしい記録を打ち立てています。
長年にわたり、彼女の歌声は大晦日の夜に欠かせないものとして、多くの日本人に親しまれてきました。

紅白歌合戦への初出場は、「津軽海峡・冬景色」が大ヒットした1977年(第28回)のことです。
それ以来、1983年に一度産休のため出場を辞退(この年も特別応援ゲストとして出演)したほかは、毎年出場を重ねています。2024年の第75回大会で、紅組歌手としては歴代最多となる47回目の出場を果たしました。

その功績は出場回数だけにとどまりません。紅組の最終歌唱者である「トリ」を9回、番組全体を締めくくる「大トリ」も1回務めており、これは昭和の歌姫・美空ひばりさんに次ぐ記録です。

また、2007年(第58回)からは、代表曲である「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」を1年おきに交互に披露することが恒例となっていました。

しかし、2024年の第75回大会では、能登半島地震からの復興への強い想いを込めて、2003年以来21年ぶりに「能登半島」を歌唱。「今歌わずして、いつ歌うんだ」という彼女の言葉通り、被災地へエールを送る感動的なステージとなりました。

石川さゆりの若い頃から現在まで|心温まる家族との歩み

  • 元マネージャーの夫との結婚生活
  • 一人娘(子供)の佐保里さんとの絆
  • インスタグラムで語られる娘とのエピソード
  • 再婚はしている?現在のプライベートについて
  • ミス日本グランプリに輝いた姪の石川満里奈さん
  • デビュー50周年を超え、輝き続ける現在の活動

元マネージャーの夫との結婚生活

石川さゆりさんは、1981年に当時彼女のマネージャーを務めていた馬場憲治さんと結婚しました。
この結婚は、彼女のキャリアを公私にわたって支えるパートナーシップの始まりとして、当時大きな注目を集めました。

二人の出会いは、石川さんが所属していた事務所「ホリプロ」でした。
馬場さんは7歳年上で、歌手として苦しい時期を歩んでいた石川さんを一番近くで支え続けた存在でした。共に仕事をする中で次第に惹かれ合い、結婚へと至ったといいます。
当時の事務所ではタレントとマネージャーの恋愛は認められていなかったため、馬場さんは結婚前に事務所を退社。その後、フリーライターとして執筆した著書『アクション・カメラ術』がベストセラーとなり、それが結婚への大きな後押しとなったようです。

しかし、結婚生活は8年後の1989年2月に終わりを迎えることになりました。
離婚の詳しい理由について公式に語られてはいませんが、お互いが十分に話し合った上での円満な決断だったとされています。結婚後は、ご主人のご家族と共に生活を送るなど、環境の大きな変化もあったようです。
離婚会見では「頑張ったけど、ダメでした」と語り、トップ歌手として、そして一人の女性として、様々な経験を乗り越えてこられた様子がうかがえます。

一人娘(子供)の佐保里さんとの絆

石川さゆりさんには、元夫である馬場憲治さんとの間に、一人娘の佐保里(さおり)さんがいます。
1984年2月に誕生した佐保里さんを、石川さんは離婚後、女手一つで愛情深く育て上げ、二人の間には深い絆が育まれてきました。

石川さんは、多忙な歌手活動の傍ら、娘との時間を何よりも大切にしてきました。
地方での公演が続く中でも、「寝る時か起きる時は、必ず一緒にいられるようにした」と語るように、母親として常に娘に寄り添う生活を心がけていたといいます。
その深い愛情は、出産後に出版された育児本『うちの佐保里姫』からも伝わってきます。

佐保里さんは学生時代にイギリスへ留学しましたが、その地で人種差別的な言動に心を痛めるという辛い経験をされたことがありました。
現在はその経験も乗り越え、母である石川さんの個人事務所「さゆり音楽舎」でサポートの仕事をするなど、母を支える頼もしい存在となっています。

2012年には、本田技研工業の「フィットシャトル ハイブリッド」のテレビCMで親子共演を果たし、その仲睦まじい姿が話題となりました。

インスタグラムで語られる娘とのエピソード

石川さゆりさんは、自身の公式インスタグラムを通じて、ステージ上とはまた違う、家族との温かい日常をファンに届けています。
特に、お母様と娘の佐保里さんとの「親子三世代」の交流が垣間見える投稿は、多くの人々の心を和ませています。

例えば、2024年1月31日の投稿では、ご自身の66歳の誕生日を家族で祝った際の写真を公開。
ケーキを囲む三世代の幸せそうな笑顔と共に、「母は昨年秋に転倒して骨折していたので、4ヶ月ぶりの外でのお食事」「嬉しい日に感謝です」と、家族への想いを綴りました。

また、2025年3月4日には、ひな祭りを祝う様子を投稿。
「今年も母・私・娘でおひな様をお飾りして、小さな幸せを感じます」という言葉と共に、食卓を囲む和やかな姿を披露しました。
これらの投稿には、ファンから「素敵なご家族」「お母様も娘さんもお綺麗」といった温かいコメントが数多く寄せられています。

また、テレビ番組のアンケートで佐保里さんが「歌手として常に新しいことにチャレンジする姿勢は素晴らしいと思います」と語ったように、母と娘は互いを深く尊敬し合う、素晴らしい関係を築いています。

再婚はしている?現在のプライベートについて

石川さゆりさんは、1989年に元夫の馬場憲治さんと離婚して以来、現在も独身であり、再婚したという公式な発表はありません。
メディアやインターネット上では再婚に関する様々な情報が見受けられますが、ご本人から公に語られた事実は確認されていません。

過去のインタビューでは、結婚生活について振り返りつつも、将来については「いつ、どんな出会いがあるかわからない」と語っており、新たな出会いの可能性を完全に閉ざしているわけではない様子がうかがえます。
しかし、現在の彼女の生活の中心は、長年情熱を注いできた音楽活動と、大切なご家族との時間にあるようです。

自身のインスタグラムでは、お母様や一人娘の佐保里さんと共に過ごす穏やかな日常を度々公開しており、家族三世代の深い絆が感じられます。
トップ歌手として華やかな世界で活躍する一方で、家庭では一人の娘、一人の母として、温かい時間を大切にされていることが伝わってきます。現在は独身生活を送りながら、自身のキャリアと家族との関係を何よりも大切にしていると考えられます。

ミス日本グランプリに輝いた姪の石川満里奈さん

2025年1月27日、石川さゆりさんの姪である石川満里奈(まりな)さんが「第57回 ミス日本コンテスト 2025」で見事グランプリに輝き、大きな注目を集めました。
満里奈さんは当時19歳で、フェリス女学院大学に通う学生でありながら、グランプリと「ミス着物」の二冠を達成するという快挙を成し遂げました。

最終審査で名前を呼ばれた満里奈さんは、大粒の涙を流しながら「未来を背負う若者の気持ちを伝える代表として、いろいろな活動に励んでまいりたい」と力強く語りました。
伯母である石川さゆりさんについては、「歌と着物、人との関わりを大切にする姿を間近で見てきた」と言及しており、その存在が彼女に大きな影響を与えていることがうかがえます。

満里奈さんは、伯母の活躍する姿を見て俳優を志し、特技は弓道という一面も持っています。また、2025年4月8日に放送された日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」に出演した際には、自身が持つ絶対音感が原因で、複数の人の声が重なる不協和音を聞くと気分が悪くなってしまうという、音楽一家ならではの悩みを明かしたことも話題となりました。

デビュー50周年を超え、輝き続ける現在の活動

1973年のデビューから半世紀以上が経過した現在も、石川さゆりさんの活動はとどまることを知らず、その輝きは増すばかりです。演歌というジャンルの枠にとどまらず、常に新しい挑戦を続ける姿勢は、多くの人々に感動と勇気を与えています。

音楽活動においては、2025年3月に新曲『弥栄ヤッサイ/棉の花』をリリースするなど、コンスタントに作品を発表し続けています。

近年では、椎名林檎さん、奥田民生さん、宮沢和史さんといった多彩なジャンルのアーティストと積極的にコラボレーションを行い、演歌の新たな可能性を切り拓いています。

また、音楽番組『tiny desk concerts JAPAN』に出演し、オフィスの小さなスペースで代表曲を披露するなど、ユニークな形でのパフォーマンスも話題を呼びました。

さらに、歌手活動と並行して女優としても活躍しており、2023年にはドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』に出演し、その存在感を示しました。

公式インスタグラムでは、手料理の写真や家族とのプライベートショットを公開するなど、ファンとの交流も大切にしています。年齢を重ねるごとに深みを増す表現力と、新しいことへ果敢に挑戦する若々しい精神で、石川さゆりさんはこれからも日本の音楽シーンを牽引し続けることでしょう。

【総まとめ】石川さゆりさんの若い頃から現在までの魅力

  • 若い頃は「コロムビア・プリンセス」というキャッチフレーズでアイドルデビューしました。
  • デビューのきっかけは、中学3年の時に友人の代理で出場した「ちびっ子歌謡大会」での優勝でした。
  • 歌手活動より先に、テレビドラマ「光る海」で女優として芸能界でのキャリアをスタートさせました。
  • 出身地は熊本県で、小学1年生の時に見た島倉千代子さんのショーに感銘を受け歌手を志しました。
  • デビュー当初はヒットに恵まれず、二葉百合子さんに師事し歌や日舞を基礎から学び直しました。
  • 1977年、19歳の時に発表した「津軽海峡・冬景色」が歴史的な大ヒットを記録しました。
  • 「津軽海峡・冬景色」は元々、前年に発売されたアルバム『365日恋もよう』の収録曲でした。
  • NHK紅白歌合戦には、紅組歌手として歴代最多の出場記録を誇ります(2024年時点で47回)。
  • 2024年の紅白では能登半島地震復興の想いを込め、21年ぶりに「能登半島」を歌唱しました。
  • 私生活では1981年に元マネージャーの馬場憲治さんと結婚しましたが、1989年に離婚しています。
  • 離婚後は再婚しておらず、現在も独身で活動を続けています。
  • 一人娘の佐保里(さおり)さんがおり、母の個人事務所の仕事をサポートしています。
  • 佐保里さんとは、2012年に自動車のテレビCMで親子共演を果たしています。
  • 自身のインスタグラムでは、実母と娘さんとの温かい「親子三世代」ショットを度々公開しています。
  • 姪の石川満里奈(まりな)さんは、2025年の「ミス日本コンテスト」でグランプリを受賞しました。
  • 2019年には長年の芸術文化への功績が認められ、紫綬褒章を受章しています。
  • 近年では映画『PERFECT DAYS』に出演するなど、女優としても国際的に評価されています。
  • デビュー50周年を超えた今も、椎名林檎さんなど多様なアーティストとのコラボに挑戦し続けています。

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