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かつてバラエティ番組でセレブキャラとして大ブレイクしたマリエさんの若い頃を懐かしく思い出す人も多いのではないでしょうか。石油王の父を持ち規格外の金持ちエピソードで世間を驚かせたマリエさんの実家や当時の暮らしぶりについて詳しく振り返ります。
本名をパスカルマリエという彼女は、18歳の頃に雑誌モデルとして注目を集めましたが、その後のマリエさんの学歴や留学経験が現在のキャリアにどう繋がっているのかも興味深いポイントです。
デザイナーへと転身したマリエさんの現在は事実婚のパートナーである旦那さんやお子さんと穏やかな生活を送っていることがマリエさんのインスタグラムからも伝わってきます。
過去にはマリエさんと出川哲朗さんを巡る騒動が注目を集めたこともありましたが、そうした経緯も含めて彼女の歩んできた道のりを改めて紐解いてみましょう。
この記事ではギャルモデル時代の伝説から、洗練された大人の女性へと変化した姿までを詳しくご紹介します。
マリエの若い頃の経歴や「セレブキャラ」としてブレイクした背景
- 幼少期からモデルデビューまで!マリエの若い頃の活動を振り返る
- 『ViVi』モデルとして注目を集めた18歳の頃の活躍とバラエティ進出
- パスカル・マリエが本名!ハーフとしてのルーツと家族構成
- 「石油王の父」を持つマリエの実家は規格外の豪邸だった?
- セレブタレントとして一世を風靡したマリエの金持ちエピソードの数々
- 都立高校から名門パーソンズ美術大学へ留学したマリエの学歴と転機
幼少期からモデルデビューまで!マリエの若い頃の活動を振り返る
モデルやタレント、そして現在はデザイナーとしても活躍するマリエさんですが、そのキャリアのスタートは非常に早い段階から始まっていました。
彼女が芸能活動を開始したのは、小学5年生の頃のことです。ファッションモデルをしていたお姉さんの勧めがきっかけで、子役モデルとして仕事を始めたとされています。幼い頃から姉妹の影響を受け、ファッションや表現の世界に触れていたことがうかがえます。
10代前半の頃の活動において特筆すべき点は、何度かの芸名変更や事務所移籍があったことです。デビュー当初は現在とは異なる事務所に所属しており、BS朝日の番組『Harajukuロンチャーズ』などに出演していた時期には「赤川こはる」という芸名を使用していました。この頃から既に原宿などでスカウトを受ける存在感を放っていたようです。
その後、マリエさんにとって大きな転機が訪れたのは15歳の時でした。原宿でのスカウトをきっかけに、長らく所属することとなる芸能事務所・レプロエンタテインメント(当時のレヴィプロダクションズ)に入所することになります。中学時代からジュニアモデルとして活動を継続し、高校時代には個性を爆発させていました。
東京都立千歳丘高等学校に通っていた頃は、髪の色を右側は白、真ん中はピンク、左側は黒という3色に染め分けるなど、独自のファッションセンスを貫いていたというエピソードも残っています。また、高校時代には英語を学ぶためにアメリカ・シカゴへ単身留学をするなど、若い頃から行動力と向上心を持っていたことがわかります。
『ViVi』モデルとして注目を集めた18歳の頃の活躍とバラエティ進出
マリエさんが世間にその名を広く知らしめ、ブレイクを果たしたのは2005年、18歳の頃です。この年、彼女はファッション雑誌『ViVi』のモデルとしての活動を本格化させ、その日本人離れしたスタイルと華やかなルックスで一躍同世代の女性たちの注目を集めました。同時期に「東京ガールズコレクション」や「神戸コレクション」、「福岡アジアコレクション」といった国内の主要なファッションショーにも多数出演し、トップモデルとしての地位を確立していきます。
モデル業と並行して、彼女の知名度を一気に押し上げたのがバラエティ番組への進出です。きっかけとなったのは、毎日放送制作の『世界バリバリ★バリュー』への出演でした。この番組で彼女は、一般常識とはかけ離れた裕福な家庭環境や生活ぶりを披露し、「セレブなアイドル=セレドル」という新しいジャンルを確立しました。番組内で見せる歯に衣着せぬ発言や、奔放で天真爛漫なキャラクターが視聴者に強いインパクトを与え、タレントとしてのオファーが急増することになります。
その勢いは止まることなく、2006年にはNHKのドラマ『マチベン』で女優デビューも果たしました。さらに翌2007年、20歳の時には国民的バラエティ番組『笑っていいとも!』のレギュラーメンバーに抜擢されています。当時のマリエさんは、テレビで見ない日はないほどの売れっ子ぶりであり、最盛期には9本ものレギュラー番組を抱えていたとも報じられています。モデルとしてのカリスマ性と、バラエティで見せる親しみやすさのギャップが、当時の彼女の大きな魅力となっていました。
パスカル・マリエが本名!ハーフとしてのルーツと家族構成
「マリエ」という芸名で活動されていますが、彼女の本名は「玉木パスカルマリエ」あるいは「マリエ・パスカル・デマレ」であることが知られています。父親がフランス系カナダ人で母親が日本人のハーフであり、国籍はカナダを持っています。彼女の洗練された顔立ちや、海外志向の強さは、こうした国際色豊かなルーツによるものが大きいと言えるでしょう。
彼女の家族構成は、両親と3姉妹の末っ子という環境で育ちました。特に父親については、かつてフランスの自動車用オイルの輸入代理店社長を務めていた人物で、メディアなどでは「石油王」と称されることもありました。母親は元客室乗務員で、日本国内でサロンやまつげエクステ店などを経営する実業家としての顔も持っています。
若い頃のマリエさんがメディアで語っていた「東京・麻布やニース、パリ、ロサンゼルスなど世界各地に家がある」「自家用ヘリやクルーザーを所有している」といった驚愕のエピソードは、こうした両親の成功による環境が背景にありました。
しかし、その後の報道によれば、父親の会社の経営状態の変化や両親の離婚など、家族を取り巻く環境にも変化があったようです。週刊誌等の報道では、実家の経済状況についてさまざまな情報が取り沙汰されたこともありましたが、マリエさんの母親はインタビューに対し、事業のための資金繰りなどについて前向きに説明をしています。一時はセレブタレントとして華やかな私生活ばかりが注目されましたが、そうした家族の変遷や自身のキャリア形成を経て、マリエさんは精神的に自立した大人の女性へと成長していったのです。
「石油王の父」を持つマリエの実家は規格外の豪邸だった?
かつて「セレブタレント」として一世を風靡したマリエさんですが、彼女の生い立ちは実際に非常に裕福なものでした。その背景には、父親がフランスの自動車用オイル輸入代理店の元社長であり、世間から「石油王」と形容されるほどの実業家だったことがあります。母親も元客室乗務員であり、サロンを経営するなどビジネスに関わっていました。
このような環境のもと、彼女は東京都内でも特に高級住宅街とされる麻布などに実家を持っていたと言われています。
マリエさんがテレビなどで語ったエピソードによると、実家は日本国内にとどまらず、世界中に点在していました。具体的には、東京に2軒、フランスのニースやパリ、アメリカのロサンゼルスなど、世界各地に合わせて5軒もの邸宅を所有していたそうです。これらの住宅は単なる別荘という枠を超え、それぞれの土地での生活拠点として機能していたと考えられます。
さらに、自宅のエピソードとしては、単に家の数が多いだけでなく、その規模や設備も一般的な住宅とは一線を画すものでした。自家用ヘリコプターやクルーザーまで所有していたという情報もあり、移動手段においてさえも規格外の豪華さがありました。こうした驚くべき実家の環境は、マリエさんが芸能界デビュー後に「セレブキャラ」として注目される大きな要因となり、視聴者に強いインパクトを与えることになりました。
ただし、後に父親の会社の経営状況が変化し、実家の資産状況に関する報道がなされたこともありましたが、マリエさんの母親はインタビューなどで前向きにコメントをしており、変化する状況にも家族で向き合ってきた様子がうかがえます。
セレブタレントとして一世を風靡したマリエの金持ちエピソードの数々
マリエさんがバラエティ番組でブレイクした当時、彼女の口から語られる「お金持ちエピソード」は視聴者を驚かせ続けました。彼女は当時、「セレドル(セレブなアイドルの略)」と名乗り、『世界バリバリ★バリュー』などの番組でその華麗な生活ぶりを披露していました。その中でも特に印象的だったのが、所有物の金額や買い物に関するエピソードです。
若い頃のマリエさんは、高級ブランド品を日常的に身につけ、それが特別なことではなく「当たり前の生活」として振る舞っていました。移動手段に関しても「自家用ヘリで移動することもある」と発言するなど、一般人の感覚とはかけ離れたスケールの大きさを見せつけました。
また、10代の頃から多くのレギュラー番組を抱える売れっ子でしたが、後年のインタビューで「ぶっちゃけ儲かっていない。なんであの頃貯金しなかったんだろう」と振り返るほど、稼いだ金額に見合うだけの派手なお金の使い方をしていたのかもしれません。クラブのVIPルームで朝までシャンパンやテキーラを楽しむといった遊び方も、当時のセレブタレントとしてのパブリックイメージを形成していました。
しかし、これらのエピソードは単なる自慢話ではなく、彼女の育った環境そのものを表す事実に基づいた話も多く含まれていました。父が輸入代理店の社長として成功を収めていた時期は、確かに物質的に何不自由ない生活を送っていたと言えます。それでも彼女自身は、そうした恵まれた環境に甘んじることなく、モデルとしてのプロ意識を持ち、後にデザイナーとして自立した道を歩み始めることになります。過去の華やかなエピソードは、現在の彼女が地に足のついた活動を行う上での、一つの経験となっているのでしょう。
都立高校から名門パーソンズ美術大学へ留学したマリエの学歴と転機
華やかな経歴を持つマリエさんですが、その学歴にも独自の道を歩んできた痕跡が見られます。彼女は小学校から中学校にかけて、インターナショナルな環境や海外留学を経験していますが、高校時代は東京都内の公立高校である東京都立千歳丘高等学校に通っていました。意外にも思える「都立高出身」という経歴ですが、これは彼女が私服で通学できる自由な校風を求めた結果だったと言われています。制服というしがらみから解放され、自身の個性をファッションで表現できる環境を選んだのです。
高校1年生の時には、アメリカ・ウィスコンシン州の高校へ語学留学も経験しています。英語が話せず孤独を感じていた時期に、ファッションを通じて現地の生徒とコミュニケーションを図ったという経験は、その後の彼女の人生観に大きな影響を与えました。
高校卒業後は日本の大学へ進学せず、芸能活動に専念していましたが、2011年10月、24歳の時に大きな転機が訪れます。ニューヨークにある世界的な名門美術大学、パーソンズ美術大学への留学を決断したのです。この大学はマーク・ジェイコブスやアナ・スイなど数多くの著名デザイナーを輩出したことで知られており、入学するには高い倍率を突破する必要があります。
マリエさんが専攻したのは正規の学位取得コースではなく社会人向けの専門コースであったようですが、それでも世界最高峰のデザイン教育機関で学ぶことは、並大抵の努力では成し得ません。
彼女はこの留学について、後年「今変えないといつ変えるんだ」「何かが間違っていたことに自分でも気付いていた」と語っており、タレントとしての多忙な生活の中で抱えていた迷いを断ち切るための決断だったことを明かしています。
約半年間の留学期間を経て2012年に帰国した際には、ファッションデザイナーとしての確かな知識と技術、そして何より「自分の力で道を切り拓く」という自信を持ち帰ってきました。この留学経験こそが、タレントからデザイナーへとキャリアを転換させる決定的なターニングポイントとなったのです。
マリエの若い頃から大人の女性へ!現在のキャリアと私生活
- ファッションデザイナーとして環境問題に取り組むマリエの現在
- 結婚生活やパートナーは?マリエの旦那・芝原正博氏との事実婚について
- マリエのインスタグラムで見せる第一子との暮らしと母の顔
- マリエと出川哲朗を巡る過去の騒動に関する報道と経緯について
- ギャル時代から変化!マリエの若い頃とは異なるナチュラルな魅力
- 留学を経てデザイナーへ転身したキャリアに見る生き方の変化
ファッションデザイナーとして環境問題に取り組むマリエの現在
かつてのセレブタレントというイメージから一転し、現在のマリエさんはファッションデザイナーとして独自の地位を築いています。彼女の転機となったのは2011年のニューヨーク留学です。名門パーソンズ美術大学でファッションを本格的に学び、帰国後の2017年6月に自身の名を冠したブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカル マリエ デマレ)」を立ち上げました。
現在、マリエさんが特に力を入れているのが「サステナブル(持続可能)なファッション」の提案です。ただ洋服をデザインして販売するだけでなく、環境問題への深い配慮をブランドの根幹に据えています。その姿勢が評価され、2020年には環境省の「森里川海プロジェクト」のアンバサダーに任命されました。
彼女のものづくりは、生産過程における環境負荷の低減や、エシカルな素材選びなどを重視しており、ファッションを通じて社会にメッセージを発信する活動家としての一面も見せています。
かつて派手な生活を送っていた彼女が、なぜこうした活動にシフトしたのでしょうか。それは留学時代や自身のキャリアを通じて、「消費するだけのファッション」ではなく「未来へつなぐファッション」の重要性に気づいたからだと言えます。
地方の工場に自ら足を運び、作り手と直接対話をするなど、地道で丁寧なビジネススタイルを貫いており、慣れない敬語を使いながら全国展開を進めているというエピソードも報じられています。今のマリエさんは、外見の華やかさだけでなく、内面から湧き出るクリエイティビティと社会貢献への意識を持った、自立した女性実業家として輝いています。
結婚生活やパートナーは?マリエの旦那・芝原正博氏との事実婚について
現在、マリエさんのパートナーとして知られているのが、アパレル会社経営者の芝原正博(しばはら まさひろ)さんです。芝原さんは、ライフスタイル系アパレルブランドの店舗運営などを行う株式会社「JUNGLE JAM(ジャングルジャム)」の代表取締役社長を務めている実業家です。
お二人は2022年時点で8年ほどの交際期間があったとされており、長きにわたって公私ともに支え合う関係を築いています。
お二人の関係性についてですが、一般的な「入籍」という形にはこだわらないスタイルを選択されているようです。いわゆる「事実婚」の形をとっている可能性が高いと見られています。マリエさんは2012年の時点で「結婚というスタイルをとらない人も増えてきている」と発言しており、以前から形式にとらわれないパートナーシップについての考えを持っていたことがうかがえます。
芝原さんはビジネスパートナーとしてもマリエさんを支えており、2021年の騒動の際などには常に彼女の傍らに寄り添う姿も確認されています。
芝原さんはアパレル業界の経営者として、東京や海外に拠点を持つビジネスを展開しており、同じファッション業界に身を置くものとして、マリエさんと深い理解と共感を共有しているのでしょう。
お互いのSNSに登場することもあり、オープンで対等なパートナーシップを築いている様子が伝わってきます。法的な婚姻関係の有無にかかわらず、互いにリスペクトし合える「旦那」としての存在が、現在のマリエさんの安定した活動の支えとなっていることは間違いありません。
マリエのインスタグラムで見せる第一子との暮らしと母の顔
マリエさんは2022年6月に妊娠を発表し、同年10月に第一子となる女の子を出産しました。お子さんの名前は公表されていませんが、愛称は「OLA(オラ)」ちゃんと呼ばれており、ハワイ語で「生命」や「健康」を意味する素敵な響きを持っています。自身のインスタグラムでは、妊娠中から出産、そして育児の様子まで、母親としての喜びや葛藤を率直に綴っています。
特に印象的なのは、お子さんとの日常を切り取った投稿の数々です。2024年現在の投稿でも、成長したお子さんの姿や、ベビーカーを押して外出する様子などがアップされており、「マリエさんの母親としての顔」を見ることができます。
以前のような派手なメイクや奇抜なファッションではなく、ナチュラルな笑顔でお子さんに接する姿からは、母になったことによる心境の変化や、穏やかな幸福感がにじみ出ています。フォロワーからは「素敵なママ」「お子さんとの時間が幸せそう」といった温かいコメントが寄せられています。
出産にあたってはメキシコでの出産を選択したとも報じられており、ここでも彼女らしいグローバルで独自の価値観が垣間見えます。パートナーの芝原さんが出産や育児を献身的にサポートしてくれている様子もSNSでの発信から伝わってきており、「彼がずっとそばでサポートしてくれなかったら不安だった」と感謝の言葉を綴っています。
ファッションデザイナーとしての仕事と、母親としての役割を両立させながら、自分らしいライフスタイルを発信し続けるマリエさんの姿は、多くの女性にとって新しいロールモデルの一つとなっていると言えるでしょう。
マリエと出川哲朗を巡る過去の騒動に関する報道と経緯について
2021年4月、マリエさんが自身のインスタグラムでのライブ配信を通じて行ったある発言が、インターネットを中心に大きな波紋を呼びました。彼女はその中で、自身が18歳だった当時、元タレントの島田紳助氏から不適切な関係を迫られた過去があったと告白しました。
さらに、その場に同席していたタレントの出川哲朗さんやお笑いコンビ「やるせなす」のメンバーなどが、その要求に応じるよう説得してきたと述べたのです。この配信内容は瞬く間に拡散され、関係者の名前とともにワイドショーや週刊誌で大きく取り上げられることになりました。
マリエさんの主張によれば、当時の所属事務所からは「断れば今後仕事がなくなる」といった趣旨のことを言われたともされており、若き日の彼女が受けた圧力や恐怖心が吐露されました。
この告発に対し、名指しされた出川哲朗さんの所属事務所であるマセキ芸能社は、即座に公式声明を発表しました。声明では「お騒がせしているような事実はない」として、マリエさんの発言内容を全面的に否定しました。同様に島田紳助氏も一部週刊誌の取材に対し、「そのような事実はない」と回答したと報じられています。
また、YouTuberとして活動していた東谷義和氏がこの件について言及し、「現場には居合わせたが、冗談の範囲内だったのではないか」といった趣旨の発言をして擁護する動きもありましたが、双方の主張が食い違う形で事態は平行線をたどりました。
この騒動を受けて、出川さんの出演番組などへの影響を懸念する声も上がりましたが、最終的には決定的な証拠等は提示されず、現在に至るまで真相は不明確な部分が残されています。
しかし、この一連の報道は、芸能界における過去の慣習やハラスメントに対する意識について、世間に大きな議論を巻き起こすきっかけとなりました。マリエさんにとっては、過去の苦しい経験を公にすることで、自分自身の過去と決別しようとする勇気ある行動だったのかもしれません。
ギャル時代から変化!マリエの若い頃とは異なるナチュラルな魅力
現在のマリエさんの姿を見ると、かつての「セレブタレント」や「ギャル」といったイメージとは大きく異なる、ナチュラルで洗練された雰囲気をまとっています。
若い頃、特に2000年代後半のマリエさんは、金髪のロングヘアや濃いアイメイク、派手なファッションがトレードマークでした。自身の著書『マリエ系』などでも見られるように、当時のギャルカルチャーのアイコン的な存在として、同世代の女性たちから圧倒的な支持を集めていました。
しかし、30代を迎えた現在のマリエさんは、そうした装飾を削ぎ落とし、素材そのものの美しさを生かしたスタイルへと変化しています。髪型は落ち着いたトーンのショートカットやボブスタイルが多くなり、メイクも肌の質感を大切にしたナチュラルなものが中心です。
この変化は単なる年齢によるものではなく、彼女自身の内面の成熟や、環境問題への関心の高まりなど、ライフスタイルの変化が外見にも反映されたものだと言えるでしょう。2018年や2024年のインタビュー記事や写真を見ても、シンプルながらも質の良いアイテムを選び、大人の女性としての余裕を感じさせる装いをしています。
「若い頃の自分も可愛かったけれど、今の自分も好き」という肯定的な自己受容の姿勢が、現在の彼女の魅力の根底にあります。インスタグラムなどで見せる笑顔は、以前のような作り込まれた華やかさよりも、より人間味のある温かさを感じさせます。
このナチュラルな美しさは、彼女が長年の芸能活動や海外留学、そして母となった経験を通じて得た自信の表れなのかもしれません。かつてのファンだけでなく、同世代の女性たちからも「素敵に年を重ねている」と共感の声が多く寄せられています。
留学を経てデザイナーへ転身したキャリアに見る生き方の変化
マリエさんのキャリアにおいて、2011年のニューヨークへの留学は決定的な転機となりました。当時、テレビのバラエティ番組などで売れっ子として多忙を極めていた彼女ですが、自身の将来や芸能界での在り方に疑問を感じていたようです。
周囲の反対を押し切ってまで選んだ「学び直し」の道は、彼女の人生の舵を大きく切るきっかけとなりました。パーソンズ美術大学での日々は、単にデザインの技術を学ぶだけでなく、自分自身と向き合い、本当にやりたいことを見つけるための貴重な時間だったと言います。
帰国後のマリエさんは、タレント活動と並行してデザイナーとしての活動を本格化させました。自身のブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS」を立ち上げ、ファッションを通じてサステナビリティ(持続可能性)やエシカル(倫理的)な消費を提案する活動家としての側面を強めていきました。
これは、「与えられた役割を演じるタレント」から「自らの価値観を創造し発信するクリエイター」への脱皮でもありました。環境省のアンバサダー就任や、地方の工場との連携など、その活動領域は芸能界という枠を超えて広がっています。
このキャリアの変遷から見えるのは、彼女の「自立心」と「社会への責任感」です。かつてはセレブな生活や奔放な発言で注目を集めましたが、現在は地に足のついた活動で社会に貢献しようとする真摯な姿勢が評価されています。「何で貯金しなかったんだろう」と過去を笑い飛ばせるようになったのも、現在の自分の生き方に誇りを持っているからこそでしょう。
一度華やかな表舞台から離れ、学問を通じて知識と自信を身につけたことで、彼女は他人の評価に依存しない、自分軸のある生き方を手に入れたのです。それは、変化の激しい現代において、多くの人が憧れるキャリア形成の一つの理想形とも言えるのではないでしょうか。
マリエの若い頃のセレブ伝説から現在の母としての姿まで
- マリエは小学5年生で姉の勧めでモデルデビューを果たした
- デビュー当初は「赤川こはる」という芸名で活動していた時期がある
- 本名は「玉木パスカルマリエ」でフランス系カナダ人の父を持つハーフである
- 父は「石油王」と呼ばれる実業家で世界中に5軒の実家があったとされる
- 18歳で雑誌『ViVi』のモデルとなり一躍脚光を浴びた
- バラエティ番組では規格外の金持ちエピソードを披露し「セレブタレント」としてブレイクした
- 高校時代は制服のない都立千歳丘高校に通い3色の髪色など個性を貫いた
- 24歳で芸能活動を休止しニューヨークの名門パーソンズ美術大学へ留学した
- 留学を経てデザイナーへ転身し自身のサステナブルブランドを設立した
- 環境省のアンバサダーに就任するなど社会課題への取り組みも行っている
- 2021年のインスタライブで島田紳助氏や出川哲朗氏に関する過去の騒動について言及した
- 騒動に関しては双方の主張や報道があったが決定的な事実は確認されていない
- 現在はアパレル経営者の芝原正博氏と事実婚というパートナーシップを築いている
- 2022年に第一子となる長女「OLA」ちゃんを出産し母親となった
- 若い頃の派手なギャルメイクから現在はナチュラルで洗練された雰囲気へ変化した
- SNSでは飾らない育児の様子や家族との生活を発信し支持を集めている
- 過去の華やかなイメージから脱却し自立した実業家としての地位を確立した
KAZ
1970年代生まれ/大阪在住
テレビドラマやネットニュースを見ていると、「この人、最近よく見るけど、どんな人なんだろう?」と気になることがよくあります。
しかし、いざ調べようとすると情報が古かったり、色々なサイトに散らばっていたりして、意外と時間がかかるもの。
このブログでは、そんなあなたの「ちょっと知りたい」に応えるため、公式サイトや信頼できるメディアの情報を元に、今話題の人物のプロフィールを分かりやすく整理しています。
忙しいあなたのための、信頼できる「ネット版の人物名鑑」のようなサイトを目指しています。


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