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コワモテな役柄からコミカルな演技まで幅広くこなす名俳優の寺島進さんですが、その若い頃が非常にやんちゃでかっこいいことをご存知でしょうか。
実は都立葛飾野高校時代から硬派なスタイルを貫き、身長165cmという体格を活かしてスタントマンとして活動していた時期もありました。
ネット上では顔が似ていることから岩城滉一さんとの兄弟説が囁かれたり、46歳での結婚だったため再婚や前妻の存在が噂されたりすることもあります。
しかし実際には長い下積み時代を経て初婚で結ばれた18歳年下の嫁と現在も仲睦まじく暮らしており、50代で授かった子供たちを溺愛する良きパパでもあります。
この記事では寺島進さんの若い頃の貴重なエピソードや愛車へのこだわり、そして俳優としての成功までの道のりをご紹介します。
強面なイメージとは裏腹な家族への深い愛情や意外な経歴を知れば、寺島進さんのことがもっと好きになるはずです。
寺島進の若い頃はヤンチャでかっこいい?下積みから名バイプレイヤーへの軌跡
- 深川生まれの硬派な素顔!都立葛飾野高校時代のエピソード
- 身長165cmを活かしスタントマンとしても活躍した若い頃
- 殺陣師に師事し俳優としての基礎を築いた下積み時代
- 北野武作品でのブレイクと若い頃からの愛車へのこだわり
- ネット上で囁かれる岩城滉一との兄弟説について
- 若い頃から変わらない「継続は力なり」の精神と役者魂
深川生まれの硬派な素顔!都立葛飾野高校時代のエピソード
寺島進さんは、東京都江東区深川の実家が畳屋という職人の家庭に生まれ、下町情緒あふれる環境の中で育ちました。男三兄弟の次男として生まれた寺島さんは、幼少期から地元の知人たちに「ムーちゃん」という愛称で親しまれていましたが、その性格は非常に活発で、やんちゃな一面を持っていたといいます。
子供時代の寺島さんは、映画『トラック野郎』の主人公である菅原文太さん演じる「桃さん」に強い憧れを抱いていました。その影響もあってか、中学時代からは髪型をサイドバックのリーゼントにするなど、早くから硬派なスタイルを好んでいたようです。また、地元にいる喧嘩に強い先輩たちから喧嘩の作法を教わるなど、血気盛んな青春時代を過ごしていました。一方で、スポーツにも打ち込んでおり、中学の野球部ではセンターを守り、区の大会で優勝に貢献するほどの活躍を見せていました。
その後、東京都立葛飾野高等学校に進学した寺島さんは、ハンドボール部に所属して汗を流す傍ら、バンド活動にも情熱を注いでいました。特に矢沢永吉さんの大ファンで、バンドではボーカルとアコースティックギターを担当。当時のスタイルは、白いバギーパンツに裸で革ジャンを羽織り、頭にはねじり鉢巻きという、非常に個性あふれるものでした。ねじり鉢巻きについては、「深川では皆ノーヘルでバイクに乗る時にねじり鉢巻をしていた」という独自の美学があったようです。
また、16歳の頃からは地元の神輿保存会である「深川祭明会」にも所属し、そこで出会った先輩たちに可愛がられていました。高校卒業後の進路を考える際、父親から「畳屋は継がなくていいから、好きな道でやったらどうだ」と背中を押され、さらに神輿会の先輩たちからの「進の余興は面白いし、目立ちたがり屋だからそういう業界がいいんじゃない?」という助言を受け、役者の道を志すことになったのです。
身長165cmを活かしスタントマンとしても活躍した若い頃
現在の寺島進さんは渋い演技派俳優として知られていますが、キャリアの初期においては、その身体能力と特徴的な体格を活かし、スタントマンやスーツアクターとして活躍していた時期がありました。身長165cmというサイズ感は、男性としては小柄に分類されることもありますが、この特徴が意外な仕事へと繋がっていったのです。
俳優養成所を卒業後、殺陣やスタントを専門とする剣友会に所属していた寺島さんは、女優のスタント吹き替え(スタントダブル)として現場に呼ばれることがありました。具体的なエピソードとして、映画『帝都物語』の撮影において、女優の原田美枝子さんが白馬に二人乗りをして槍を持って走るという危険なシーンの吹き替えを担当したことが挙げられます。このように、小柄な体格を逆手に取り、激しいアクションシーンをこなす貴重な戦力として重宝されていたのです。
また、寺島さんは若い頃にヒーローショーで女性キャラクター役のスーツアクターを務めた経験もあります。顔が見えないスーツの中であっても、観客を魅了する動きを求められるこの仕事は、後の俳優人生にも影響を与えています。2014年の映画『イン・ザ・ヒーロー』では、まさに自身の経験と重なるような「女性キャラクターを演じるスーツアクター役」を演じており、過去の経験が見事に役柄へと昇華されています。さらに、2016年の『動物戦隊ジュウオウジャー』に出演した際には、変身ポーズを自ら考案するなど、特撮ヒーロー作品への深い愛情とリスペクトを見せています。

殺陣師に師事し俳優としての基礎を築いた下積み時代
寺島進さんの俳優としての土台は、華やかな表舞台ではなく、厳しい稽古と長い下積み生活の中で培われました。高校卒業後、成城にあった三船プロダクションの俳優養成所「三船芸術学院」に入所した寺島さんは、そこで殺陣師の宇仁貫三氏に師事し、殺陣やスタントの技術を学びました。
当時の生活は決して楽なものではありませんでした。「自分で決めた道だから自分で学費を払おう」という強い意志のもと、授業のない日は昼間に建設現場で働き、夜は歌舞伎町の水商売などでアルバイトをして学費を稼ぐというハードな日々を送っていました。学院卒業後も宇仁氏が率いる剣友会に入門し、アクション技術だけでなく、芸能界における挨拶の仕方や先輩との付き合い方、酒の飲み方に至るまで、社会人として、そして役者としての「いろは」を叩き込まれました。寺島さんはこの時期に学んだことを「俺の原点」と位置づけています。
当初はアクションに重きを置いて活動しており、本格的な演技を志向していたわけではありませんでした。しかし、大部屋俳優として『太陽にほえろ!』などのドラマでチンピラ役などの端役をこなす中で、徐々に現場での経験を積んでいきます。転機となったのは、殺陣師の先輩である二家本辰己氏に誘われて舞台に出演したことでした。そこで演技や表現の面白さに目覚め、さらに稽古場を訪れた松田優作さんにその才能を見出されます。松田優作さんから「いいなぁ」と芝居を褒められたこと、そして彼の監督作である映画『ア・ホーマンス』でデビューを果たしたことが、寺島さんが本格的な役者を目指す決定的なきっかけとなりました。
その後も順風満帆とはいかず、30代半ばまでは日光市のウェスタン村でアルバイトをしながら役者活動を続けるという生活を送っていました。しかし、「継続は力なり」を座右の銘とし、剣友会で培った精神力と現場での叩き上げの経験が、現在の名バイプレイヤーとしての地位を確固たるものにしています。
北野武作品でのブレイクと若い頃からの愛車へのこだわり
寺島進さんの俳優人生における最大の転機は、北野武監督との出会いにありました。1989年の映画『その男、凶暴につき』のオーディションに参加したことが全ての始まりです。このオーディションは独特で、北野監督は部屋の隅で一言も話さずに寺島さんを見ていただけでしたが、見事合格し、白竜さん演じるヤクザの手下役を射止めました。完成した作品で自身のエンドロールに名前が載り、スクリーンにアップで映る姿を見た寺島さんは、「俺にとっては役者として本当にデカい一歩だった」と当時の感動を振り返っています。
北野武監督は、下積み時代だった寺島さんに対し、「今売れなくても死ぬ間際に天下取ったら、“あんちゃん”の勝ちだからよ」という言葉をかけており、寺島さんにとって「育ての親」のような存在となりました。その後も『ソナチネ』や『HANA-BI』など数々の北野作品に出演し、強烈な個性と存在感で「北野組」に欠かせない俳優としての地位を確立していきます。特に『ソナチネ』がカンヌ国際映画祭で上映されたことで、国内外で知名度が一気に高まりました。
また、寺島さんの若い頃のパーソナリティを語る上で欠かせないのが、車やバイクへのこだわりです。高校時代には矢沢永吉さんに憧れ、バンド活動と並行してバイクに夢中になっていました。当時の深川では、バイクに乗る際にヘルメットではなく「ねじり鉢巻」を巻くのが一種のスタイルだったそうで、寺島さんもそのファッションを取り入れていたといいます。こうした少しヤンチャな美学は、彼の愛車遍歴にも影響を与えているのかもしれません。若い頃に見た映画『トラック野郎』の影響で、主人公が乗るデコトラにも憧れを抱いていたそうです。

ネット上で囁かれる岩城滉一との兄弟説について
寺島進さんについてインターネット上で検索すると、俳優の岩城滉一さんと「兄弟なのではないか?」という噂を目にすることがありますが、結論から申し上げますと、二人に血縁関係はありません。この噂が流れる背景には、いくつかの要因が考えられます。
まず、寺島さんと岩城滉一さんは共に鋭い眼光と渋い雰囲気を持つ「コワモテ」の俳優として知られており、顔立ちの系統や醸し出すオーラが非常に似ていることが挙げられます。どちらもアウトローな役柄を得意とし、サングラスや革ジャンといったアイテムが似合うなど、共通するビジュアル要素が多いのです。さらに、過去にドラマや映画で共演した際の息の合った演技や、お互いをリスペクトする様子が、ファンの間で「まるで本当の兄弟のようだ」という印象を与えた可能性もあります。
実際の寺島さんの兄弟構成は「男三兄弟の次男」であり、実家は江東区深川で畳屋を営んでいました。したがって、岩城滉一さんとは親戚関係にもありません。しかしながら、芸能界における「アニキ」的な存在として慕っている先輩俳優などは多数おり、そうした関係性が噂に拍車をかけたのかもしれません。事実としては赤の他人ですが、二人とも日本を代表する個性派俳優として、多くのファンに愛され続けています。
若い頃から変わらない「継続は力なり」の精神と役者魂
寺島進さんの半生を貫いているのは、座右の銘でもある「継続は力なり」という精神です。役者として芽が出るまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。1986年のデビュー後も長い間、俳優業だけでは生計を立てられず、30代半ばまでは日光市のウェスタン村でショーに出演するアルバイトなどを続けていました。それでも役者を辞めなかったのは、この言葉を胸に、自身の可能性を信じ続けたからでしょう。
下積み時代には、アクションの仕事が舞い込むこともありましたが、本格的な俳優を目指すためにあえてそれらを断り、剣友会を退会してフリーになるという大きな決断もしました。周囲からは「生意気だ」と批判されることもありましたが、「ここで踏ん張らないと上には行けない」と自分を鼓舞し続けました。そうした苦しい時期を乗り越え、2001年の北野武監督作品『BROTHER』への出演あたりから仕事が急増し、ようやく俳優一本で食べていけるようになったのです。
現在では、コワモテのヤクザ役から人情味あふれる刑事役まで幅広くこなす寺島さんですが、自身の原点はあくまで「芸能界の基礎を教わった剣友会」や「ヤクザ、チンピラ役」にあると公言しています。どんなに有名になっても初心を忘れず、現場で培った泥臭い経験を大切にする姿勢こそが、彼の役者魂の根幹なのです。家庭を持ってからは「愛、恩義、結束力」を家訓に掲げるなど、守るべきものが増えたことで、その精神性はより一層深みを増しています。
寺島進の若い頃と私生活の変化|嫁や子供と築く温かい家庭
- 前妻がいるという噂は事実?独身時代の恋愛観と経歴
- 再婚ではなく46歳で初婚!18歳年下の嫁との馴れ初めと現在
- 51歳で長男誕生!2人の子供を授かった喜びと父親としての顔
- 俳優業と家庭の両立!娘・息子との仲睦まじい関係
- 若い頃とは違う魅力!現在のかっこいいパパとしての姿
- 家族の支えを力に俳優としてさらなる高みを目指す現在
前妻がいるという噂は事実?独身時代の恋愛観と経歴
寺島進さんに関して「前妻がいるのではないか」という噂がネット上などで一部見受けられることがありますが、これについては明確に否定されています。寺島さんには離婚歴はなく、2009年の結婚が初婚となります。この噂が生じた背景には、彼が46歳という比較的遅い年齢で結婚したことや、渋い魅力を持つ大人の俳優であるため「過去に一度くらい結婚していても不思議ではない」という世間のイメージがあったのかもしれません。
独身時代の寺島さんは、仕事に対して非常にストイックな姿勢を貫いていました。俳優養成所に通い始めた頃から「役者」という仕事に真摯に向き合い、そのために恋愛への興味関心を持たなかった時期があったといいます。特に下積み時代は、生活費や学費を稼ぐためのアルバイトと稽古に明け暮れる日々であり、経済的な余裕も少なかったため、結婚や家庭を持つことを現実的に考える余裕がなかった側面もあったのでしょう。
彼自身、「三船芸術学院に通い出してからは役者にストイックに取り組んできたため、恋愛に興味が沸かなかった」と過去のインタビューで振り返っています。このように、長きにわたって自身のキャリア形成を最優先に考えてきた経緯があり、それが結果として晩婚につながったというのが事実です。前妻の存在に関する噂は、彼の積み重ねてきた長い独身時代と、そのプロフェッショナルな姿勢が生んだ単なる憶測に過ぎないと言えるでしょう。
再婚ではなく46歳で初婚!18歳年下の嫁との馴れ初めと現在
寺島進さんが結婚したのは2009年11月30日のことでした。お相手は当時28歳の一般女性で、寺島さんとは18歳の年齢差があります。前述の通り、これは寺島さんにとって初めての結婚であり、再婚ではありません。長年、独身を貫いてきた彼がついに伴侶を得たということで、当時のニュースは大きな話題となりました。
二人の馴れ初めについては、寺島さんの一目惚れだったことが明かされています。長らく恋愛に対して積極的ではなかった彼ですが、現在の奥様と出会った瞬間に強く惹かれたといいます。交際は順調に進み、交際期間が約2年になった頃に奥様の妊娠が発覚しました。この「子供を授かったこと」が直接的なきっかけとなり、寺島さんは結婚を決意しました。ストイックな役者人生を歩んできた彼にとって、この出会いと新しい命の誕生は、人生の大きな転機となったのです。
現在も夫婦関係は円満で、家庭を大切にする寺島さんの姿が知られています。独身時代が長かった分、家族を得たことの喜びや責任感を深く感じている様子がうかがえます。結婚から10年以上が経過した今も、奥様と共に温かい家庭を築いており、公私ともに充実した日々を送っているようです。
51歳で長男誕生!2人の子供を授かった喜びと父親としての顔
寺島進さんには現在、二人の子供がいます。第一子となる長女が誕生したのは結婚翌年の2010年6月7日のことでした。そして、それから約5年後の2015年3月10日には、第二子となる長男が誕生しています。長男が生まれた時、寺島さんは51歳でした。50代で小さなお子さんの父親になることは体力的に大変な面もあるかと思いますが、それ以上に得難い喜びを感じているようです。
長男が誕生した際、寺島さんは新たな決意を胸に、寺島家の家訓として「愛、恩義、結束力」という言葉を掲げました。この家訓には、家族への深い愛情と、周囲への感謝を忘れない心、そして家族全員が力を合わせて生きていくという強い思いが込められています。これまで多くのアウトロー役を演じてきたコワモテのイメージとは裏腹に、家庭では子煩悩な良きパパとしての顔を見せています。
また、子供たちの成長は、寺島さんの仕事へのモチベーションにも良い影響を与えています。2016年に出演した『動物戦隊ジュウオウジャー』では、ジュウオウヒューマンとして変身ポーズを披露しましたが、これは子供たちが喜ぶヒーロー番組に出演できたことへの喜びもあったのかもしれません。「テレビでヒーローを演じられたことが感慨深かった」と語るその言葉からは、俳優としてだけでなく、一人の父親としての純粋な喜びが伝わってきます。遅咲きで手に入れた家族という宝物は、彼の役者人生にさらなる深みと輝きを与えています。
俳優業と家庭の両立!娘・息子との仲睦まじい関係
寺島進さんは、俳優として多忙なスケジュールをこなしながらも、家庭では父親として子供たちとの時間を大切にしています。2010年に生まれた長女と、2015年に生まれた長男に対し、愛情を持って接している様子が様々なエピソードからうかがえます。例えば、自身の座右の銘を「継続は力なり」とする一方で、長男誕生後には「愛、恩義、結束力」を家訓に定めるなど、家族の中心としての自覚を強く持っていることが分かります。
特に印象的なのは、彼が仕事の選び方や役作りにおいても子供たちの存在を意識している点です。かつてはヤクザやチンピラ役といった「斬られたらお終い」の役柄が多かった寺島さんですが、近年では刑事役や父親役、さらには子供向けのヒーロー番組など、子供たちが安心して見られる、あるいは誇りに思えるような役柄への挑戦も増えています。
2016年の『動物戦隊ジュウオウジャー』への出演はその最たる例と言えるでしょう。この作品で森真理夫役を演じた際、寺島さんは自ら変身ポーズを考案するなど、非常に積極的に撮影に参加しました。これは単なる仕事としてだけでなく、テレビの前で見ているであろう自身の子供たちを喜ばせたいという父親としての想いがあったからこそではないでしょうか。こうした姿勢からも、彼が俳優業と家庭生活の両方を大切にし、子供たちとの良好な関係を築いていることが伝わってきます。
若い頃とは違う魅力!現在のかっこいいパパとしての姿
若い頃の寺島進さんは、鋭い眼光と強面なルックスで、アウトローな世界を生きる男を演じることが多く、「コワモテ俳優」としてのイメージが強くありました。しかし、結婚し二児の父となった現在は、そうした渋い魅力に加えて、包容力や温かみといった新たな「かっこよさ」が加わっています。
年齢を重ね、家族を持ったことで得た経験は、彼の演技の幅を大きく広げました。例えば、人情味あふれる刑事役や、不器用ながらも家族を想う父親役などにおいて、その深みのある演技は多くの視聴者の共感を呼んでいます。若い頃のギラギラした尖った魅力も素敵ですが、現在の、人生の酸いも甘いも噛み分けた大人の男性としての魅力は、また格別なものです。
また、以前は一般の方から声をかけられることは少なかったそうですが、刑事役など親しみやすい役柄が増えたことで、街中で気軽に声をかけられる機会が増えたといいます。これは、彼が持つ「かっこいいパパ」としての親しみやすさが、お茶の間にも浸透している証拠でしょう。地域貢献活動として一日警察署長を務めるなど、社会的な活動にも積極的で、そうした姿もまた、彼の現在の魅力を形作る要素の一つとなっています。
家族の支えを力に俳優としてさらなる高みを目指す現在
50代で第二子を授かり、現在60代を迎えた寺島進さんですが、その役者としての意欲は衰えるどころか、ますます旺盛になっているように見えます。これまでは北野武監督作品などを中心に映画での活躍が目立ちましたが、近年ではテレビドラマやバラエティ番組など、活躍のフィールドをさらに広げています。
この精力的な活動の原動力となっているのは、やはり家族の存在が大きいでしょう。長男誕生時に「益々最強に」なると決意を語った通り、家族を守り、養っていくという責任感と喜びが、彼を突き動かしているのです。また、2018年には長年所属したオフィス北野を退社し、ジャパン・ミュージックエンターテインメントへ移籍するという大きな決断もしました。これもまた、自身のさらなる飛躍と、家族のための安定や新しい挑戦を求めてのことだったのかもしれません。
座右の銘である「継続は力なり」を体現するかのように、寺島さんは俳優としての歩みを止めることはありません。下積み時代の苦労を知り、多くの恩人たちとの出会いを経て、今は愛する家族という最強の味方を得た寺島進さん。これからもその円熟した演技と変わらぬ情熱で、私たちを魅了し続けてくれることでしょう。
寺島進の若い頃から現在まで!下積みと家族愛の軌跡まとめ
- 東京都江東区深川の畳屋に生まれ、幼少期は「ムーちゃん」と呼ばれやんちゃだった
- 中学時代は野球部で活躍し、高校ではハンドボールとバンド活動に熱中した
- 矢沢永吉に憧れ、リーゼントや革ジャンといった硬派なスタイルを好んだ
- 父と地元の先輩からの助言を受け、高校卒業後に役者を目指すことを決意した
- 三船芸術学院で殺陣やスタントを学び、建設現場や飲食店のバイトで学費を稼いだ
- 身長165cmという体格を活かし、若い頃は女優の吹き替えスタントなども務めた
- 松田優作に才能を認められ、映画『ア・ホーマンス』で本格的にスクリーンデビューした
- 北野武監督の映画『その男、凶暴につき』への出演が役者としての大きな転機となった
- 30代半ばまで日光のウェスタン村でアルバイトをしながら下積み生活を続けた
- コワモテの雰囲気から岩城滉一との兄弟説が囁かれたが血縁関係はない
- 座右の銘である「継続は力なり」を信じ、長く苦しい時期も俳優業を諦めなかった
- 仕事にストイックで恋愛への関心が薄く、46歳まで独身を貫いていた
- 2009年に一目惚れした18歳年下の一般女性と結婚し、これが初婚である
- 再婚や前妻の存在などの噂は否定されており、離婚歴はない
- 結婚翌年に長女が、51歳の時に長男が誕生し二児の父となった
- 長男の誕生を機に「愛、恩義、結束力」を寺島家の家訓として掲げている
- 子供が喜ぶ姿を思い『動物戦隊ジュウオウジャー』では自ら変身ポーズを考案した
- 現在はヤクザ役だけでなく、人情味あふれる刑事役や父親役でも人気を博している
KAZ
1970年代生まれ/大阪在住
テレビドラマやネットニュースを見ていると、「この人、最近よく見るけど、どんな人なんだろう?」と気になることがよくあります。
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